セシル・B・デミル(1881~1959)
ビリー・ワイルダー監督、ウィリアム・ホールデン主演『サンセット大通り』にてカメオ出演している名監督、それがセシル・B・デミルである。彼は映画技術の発展と共に歩み、才能と資金に糸目を付けず最高の作品を追求、結果として映画という文化の可能性をぐっと広げた人物と言える。パラマウント社の大成功に君臨している彼の姿を、人びとは「デミル王国」と評して楽しんだ。
1881年、アメリカのマサチューセッツにて生まれる。本名はセシル・ブロント・デミル。両親は脚本家。兄がいる。1893年、12歳、父の逝去。これを受けて母マチルダが安定した生計を立てる為、学校と劇団を設立。セシルは母の影響を受ける形で演技の勉強を始め、1900年、19歳にて舞台俳優としてのキャリアを始める。1912年、31歳まで、舞台俳優として活動すると共に、マチルダの劇団のマネジメント業務に携わる。同年よりサイレント短編映画の監督を手掛け初め、翌1913年、32歳、上映時間80分、ハリウッド初の長編映画『スコウマン』を製作し、注目を浴びる。1918年、37歳の頃、5年間に渡る第一次世界大戦が幕を閉じ、人びとの目が娯楽に向き始め、優れた娯楽映画を製作していたセシルの作品に更なる注目が集まる。1923年、42歳、娯楽作品から一転、旧約聖書をモチーフとした『十誡』を製作、同作品の大成功と共に映画監督としての地盤を固める。以後、『キング・オブ・キングス』、『暴君ネロ』、『クレオパトラ』などの史実作品、『大平原』、『平原児』、『北西騎馬警官隊』などの西部劇作品、『地上最大のショウ』のようなドラマ作品など、スペクタクルと評するに相応しい、壮大、荘厳な作品を描き続けた。1956年、75歳、『十誡』のリメイクをこれ以上になく見事に完成。1959年、78歳、永眠した。
1902年、21歳にてコンスタンスと結婚、生涯を共にした。4人の子どもがいる。「デミル王国」と最もはやし立てられた1920年代、40歳の頃に愛用していたのは、シルクのシャツと乗馬用のブーツ。1952年、71歳、映画作品の与えた功績が高く評価され、アカデミー賞の前哨戦として誉れ高い映像芸術賞、ゴールデングローブ賞の一部門としてセシル・B・デミル賞が創設された。初代受賞者は勿論、セシル本人。二代目はウォルト・ディズニーである。
ちなみに、彼の集大成とも言うべき最後の史実作品『十戒』は、上映時間220分、エキストラ3000人、予算1300万ドルという、1956年当時においては想像を絶する桁違いの規模で製作がなされている。同年、オードリー・ヘプバーン、ヘンリー・フォンダ主演、トルストイ原作の文芸大作『戦争と平和』が製作されているが、この大作品においても製作費は600万ドルに留まる。尚、『十戒』の主演俳優を抜擢する際、セシルはローマに赴き、ミケランジェロ製作のモーゼ彫像と長時間対峙しイメージを研ぎ澄ませた。「彫像のように美しい俳優」と評されるチャールトン・ヘストンであるが、実際、彼は彫像によって選び抜かれたという訳だ。
ムービーデータベース(IMDb、英語)Cecil B. Demille (IMDb、英語)